北方領土

2004年11月16日
私の父親は、サハリンの生まれです。祖父はサハリンで小学校の教師をしていました。終戦までサハリン島の北緯50度以南は日本領でした。
父親が引き上げまで育ったのは恵須取(えすとる)という町です。北緯50度の陸続きの国境線まであと少しという本当に極北の町です。今はロシア名に改称されていますが、今も町があるようです。この町に残った祖父の教え子の方によると、父が育った教員官舎は90年ぐらいまではあったようです。

今日の報道によると、サハリンでは北方領土返還反対が70%を超えるようです。90年代、父が引き上げてからはじめて、恵須取の町を訪問した時に歓迎のパーティーの席で、市長がこんなことを言ったそうです。
「ここはみなさまの故郷ですが、私たちの故郷でもあります。」

これはある意味、真実を捉えている言葉だと思います。千島列島、サハリンに移り住んだ住民の大半は戦争で大きな被害を受けたウクライナの住民と言われています。つまり、彼らはやっとつかんだ安住の地を奪われることを恐れているのではないかと思うのです。
原則を振りかざすのも悪くないのですが、仮に北方4島が日本領へ復帰したときに、どのような施策をするのかを示すことなく、ただ、返還と叫ぶのは、正直いかがかと思うのです。
今、日本政府が示すのは、北方領土を潤すビジョンだと考えます。
それが返還を促す結果になるでしょう。

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