奇跡

2005年10月16日 エッセイ
15日の晩、愛知県岡崎市で2歳の子供がマンションの4階のベランダから転落して死亡する事故が起きました。

私は2歳のときにマンションの2階の窓から転落して、大怪我をしたことがあります。その記憶にはまったくありませんが、仮にコンクリートだったら、こうやってBlogを書くことはもちろんのこと、みなさんと会うこともないでしょう。今を生きているのはある意味、奇跡かもしれません。

折角いただいた奇跡です。あせらず・くさらず・おごらず・負けずにいかしていきたいです。
衆議院選挙が今日、公示されました。
選挙の公示・告示日で思い出すのは、自分が市議選に立候補した時のくじびきです。

自分が出た選挙区(政令指定都市は市全体が選挙区ではなく、行政区別)は定数10に対して、自分を含め立候補者は14人。くじびきは遅刻した1人を除いて13人で行いました。
実はこの時までくじびきは1回だけと思っていましたが、そうではありませんでした。まず、くじを引く順番を決めるくじがあったのです。そのくじは3番を引くことができました。しかし、ポスター掲示の場所を決めるくじは12番目でした。この瞬間、くじ運はすでに使い果たしてしまったのかと思ったのは言うまでもありません!

東ドイツ

2004年12月7日 エッセイ
今から16年前、1988年の夏、私は当時、東欧と呼ばれたポーランド、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアへ行った。団体旅行とはいえ、初めての海外旅行の行き先をそこを選んだ人間は滅多にいないようだ。

当時、ソ連圏といわれた社会主義国の中で、私企業を積極的に認めてきたハンガリーは別として、東ドイツ、チェコスロバキアは豊かでポーランドは貧しいと言われてきた。
しかし、一観光客からの目から見ると、どうも事情が違う。ポーランドが貧しいというのはたしかにそうで、行列とかも見かけた。しかし、東ドイツに比べればまだましというのが率直な感想だ。
東ドイツ、特にドレスデンなんか、戦後40年以上経ったこのときでも空襲での焼け跡が残っていた。
(ポーランドのワルシャワは徹底的に破壊されたけど、復興された。)

東ドイツにも市民の言動を監視する監視網があり、国家解体後、その監視網への糾弾がされたが、それでも外国人と話したり、他国のテレビを見たところで処罰されることはなかった。実際、東ドイツの大半では西ドイツのテレビが視聴可能だったし、列車のコンパートメントで楽しく、東ドイツの子供たちからドイツ語を習った記憶がある。(でもしゃべれない)

東ベルリンのシェーネフルト空港からワルシャワへ行くための飛行機を待つ間、平壌行の飛行機を待つ一団と一緒になった。金日成バッチをつけた彼らは話し掛けるどころかまったくの仏頂面を向けてきた。
東ドイツに留学した経験をもつ北朝鮮の技術者が、亡命した後、語った言葉(たしか文芸春秋に掲載されたインタビューだと思う)
「東ドイツはなんて自由な国なんだと思った」

これを読んだ瞬間、この仏頂面の意味がわかった感じがする。

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索